みなさんの周りに、スピリチュアルや占いにハマっている人はいませんか。その人は端から見てどう思いますか?
危ないから距離を置こう(笑)と思うでしょうか。逆に、江原啓之さんのように穏やかで人の役に立つ方、と憧れるでしょうか。
ポイントはその人の信頼感のような気がします。その人を信頼できれば、スピリチュアル好きでも、新興宗教に入っていると言われても、ああ、そういう一面もあるのね、と納得するだけです。
今日は、スピリチュアルと心の向き合い方、暮らしの活用について書きます。スピリチュアルや心の話に興味ないかたは、スルーして下さいね^^
真氣光と依存
私は、真氣光というスピリチュアル要素のある気功を学んでいます。上手に使えばとても良いものと思っています。
真氣光を実践している方のブログ記事で、何かに依存することについて書かれていました。
「真氣光に依存したくないから、今は距離を置いている」という人がいたそうです。それに対して、真氣光は逆に自立を促す効果もある、というお話でした。
依存とは、あるものに頼るあまり、それが無いと肉体的、精神的に平常が保てなくなる
出典元:トキメキhanamizukiのブログ
依存について、こう書かれていました。
例えば、困ったらすぐに占い師に相談し、結婚や就職などの人生の重要な事を占いの結果だけで決めるというのは精神的に依存している例でしょう。占い師の意見がないと、ソワソワして決められないのは依存ですね。
「頼ること」と「依存すること」の違い
私は、お金の面では旦那様の収入に頼っています。また、移動するときは義兄に車の運転をしてもらいます。でも、それは依存でしょうか?思うに、他にも選択肢があり、自分の意思で選べれば良いのでは?
調べていたら、こちらの記事を見つけました。
本文より引用します
頼るというのは、あくまで自分の軸や強い芯があって、その上で少し足らない部分をサポートしてもらったり、
助けてもらったり、協力を依頼する立場というイメージになります。
しかし依存は違います。依存は、相手ありきなんです。
相手がいないと、できないんです。
相手がいないと動かない。
出典元:IN YOU JOURNAL
・頼る=自分の軸や強い芯があり、足りない部分をサポートしてもらう
・依存=相手がいないと動かない
こういった違いがあるのですね。
例えば、突然の事故で下半身が動かず車いす生活になったとします。そうしたら車いすに乗るしか選択肢はない。でも、それは「自分らしい生活を送る」という目的があって、足りない部分(運動機能)をサポートしてもらう、ということ。
氣は、私の足りない部分のサポート
私は、病気を克服したいという思いから、氣を始めました。
「病気を治したい!」という大目標があり、そのために氣のエネルギーを取り入れたいのです。薬を飲んだり運動したり、自分で心と体のメンテナンスはできるけれど、氣については難しい。「氣」については、プロの気功師さんにお願いする、または氣が出る道具を使う。そうやって、一部を助けてもらうことで、自分の人生を充実させていきたい。
バランスよく暮らしに取り入れる
例えば、朝のテレビで占いを見て、星座のラッキーカラーをファッションに取り入れるというように楽しんで活用するのは問題ないと思います。暮らしの一部に、占いを取り入れるという趣味の範囲だから。
同じように、私も気功を大事だと思っていますが、あくまで暮らしの一部です。
真氣光のグッズを沢山は買いませんし(高額なので無理 笑)、氣を入れる時間もあまり沢山は取れません。仕事も家事もありますし、自分が好きな事をしたいです。
人にとって、氣はとても大事というのは理解しています。なので、心と体のメンテナンスと同じように、氣を充電する時間を作り、バランスを取って続けるようにしています。
まとめ。目標に向かうために活用したい
「頼る」=自分の軸がある。「依存」=相手がいないと成り立たない。そんな違いがありました。わたしは自分の軸を持って、なりたい自分になるために、上手に氣もスピリチュアルも活用したいと思います。
そして、スピリチュアルな気功をやっていると伝えても「あの人が勧めるなら大丈夫だろう」と思ってもらえるように、信頼される人になりたいなぁ・・と思う最近です。
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